今月のゲスト | 下北沢一龍へ行こう!

下北沢にあります中華そば専門店「一龍」に友人、知人、初めて会う人誰でも招いてラーメンを一杯食べていただき感想文を頂戴する企画。
2003,05 ハラスちゃん
ハラスちゃん『私とら〜麺(TM)』

このたびゲストに志願致しましたハラスと申します。
埼玉は新座市から下北沢に移り住んで3年目にして一龍HPへ初アクセス、キリ番6700を踏んだその日から、池ポンさんのブラザーとなりました。

その日のうちに書き込みすべてをチェック、ゲストページの熱い感想文を読破したのち、私の心は決まりました。

「ゲスト出演しなきゃ人間じゃないでしょ」
そんなわけでキリ番6700をひっさげて掲示板へ殴り(書き)込み、紆余曲折とうとうその夢の栄冠を勝ち取ったのでした。


感想文のまえに先だって、私とら〜麺の出会いと別れ、そして現在まで、四半世紀あまりの歴史について少々紙面を割かせていただきます。

私の記憶のら〜麺といえばまず、モノゴコロのついた小学校時代にさかのぼります。当時、両親が共働きの私は出前での食事が珍しくありませんでした。
特に父親は大のら〜麺餃子好きであったので、近所の「梅香軒」というら〜麺屋の出前を週に1度は必ずとっていたのです。

「梅香軒」のら〜麺は簡単に言ってしまえば東京醤油味ですが、中太の黄色いちぢれ麺に少し塩辛い醤油スープが絶妙に絡み合い、子供ながらに梅香軒以外はら〜麺とは呼べない、とまで思っていたようないないような。

かくしてそのすりこみとも呼べる出前生活により、東京醤油味が私のら〜麺人生のルーツとなったのであります。


しかし、井の中の蛙大海を知らずとはこのこと、まもなく東京醤油味との別離がやってきたのです。

時過ぎて埼玉は所沢での高校時代、毎日のように昼食はカップラーメンを食べていたある日、高校のすぐ近くに「まるいち」というら〜麺屋ができたのです。
「まるいち」はとんこつ醤油を使ったら〜麺が売りで、それまで東京醤油味しか知らなかった私に衝撃ショックを与えました。
茶白濁したスープに背脂が浮き、そのこってり感は私を一瞬にして虜にしました。それからは毎日恋人に逢いに行くかのように「まるいち」へ通いました。

と、同時に通学途中(当時、新座〜所沢間を自転車で通学)にあったラーメン屋をもチェックするようになり、そのたびにやっぱり「まるいち」だよね、と再確認する日々をすごしていたのです。

ちなみに余談ですが、私はなんにしても好きになるとその対象しか見えなくなる性質で、ら〜麺は好きになったらそこ以外は認めなくなります。もちろん恋愛に対しても一途になってしまうあまり相手にしつこいと言われることがしばしばあります。(ストーカーともいいます)


そんな私が「まるいち」に別れをつげ、次に虜になったのは、所沢の「丸信」というら〜麺屋と、ラーメンチェーン「花月」でした。
俗に言う二股をかけた最初の経験でした。
大学時代、車という文明の利器を手に入れた私は行動範囲を広げ、ウェブのラーメン情報をプリントアウトしてはしらみつぶしに食べ走るようになりましたが「丸信」もそのひとつで、油そばが美味くその2/3は背脂というようなこってり麺でした。
麺は勿論ちぢれの硬麺。その麺を持ち上げると背脂が絡んできて、食べ終わるころには背脂がなくなるくらい。
そして最後にご飯を絡めて背脂ライスとして楽しむのです。これが絶品。しかし、風のうわさで閉店してしまったことを聞き、別れた彼女が結婚してしまったような寂しさに今は胸を痛めています。

一方「花月」は当時の私にとってほぼ毎日の夜食となっており、夜な夜な北は大宮、南は横浜と「花月」チェーンは手当たり次第に食べ走っていました。「花月」では豚骨塩ら〜麺の硬麺背脂こってりをスタンダードとしていました。

そんな順調なら〜麺ライフと思われたある日、私を腰痛が襲いました。診断結果は腎臓結石。私は1週間の入院と1花月(1ヶ月)の静養を強いられてしまいました。まるで色々な女性を渡り歩いたかのようなつまみ食いを償うように。それが「花月」達との別れとなりました。

その後、仕事で大阪に移り住んだ私は地元の女、もとい地元のら〜麺を探し出すべく食べまわったのですが、やはり大阪の風は私にはあわなかったようで、またもや石を精製する羽目になると同時に仕事も辞めることになってしまいました。

そうして東京に舞い戻った私は、下北沢へと移り住むことになったのです。


さて、ここまできてようやく私の人生に「一龍」という名前が記憶されることになります。
それは3年前にさかのぼる日曜日の午後でした‥下北沢を散策していた私は、以前からあの提灯と暖簾が気になっていた「一龍」にホント〜に何気なく入ったのですが、そこでまず第一の衝撃ショックを受けます!

「か・かわいい‥」

そう、アルバイトのリンダさんです。
後に人妻と知ることになるとは思いもよらずチラ見をしていた私は、実は正直ら〜麺の味をさほど気にとめていなかったことをここに告白(謝罪)いたします。

そしてしばらくはリンダさん見たさに「一龍」へ通う日々が続きました。しかし、そんな私に第二の衝撃ショックが訪れました!
ある日を境に(それは単に日曜日に休めなくなっただけかも)リンダさんを見ることがなくなっても「一龍」へ足を運ぶ自分がそこにいることに気づいたのです。

それはもう自然に「一龍」の虜となっていたのです。

それから現在に至るまで、一時期は毎日通う程にモーレツアタックを続けてきた次第でございます。


おまたせしました、ここから感想文→


そしていよいよゲスト実食‥。小雨が心地よい日曜日の午後、前日の徹夜の疲れは微塵も感じない。この日のために寝る前に1時間イメージトレーニングした成果を発揮するんだ。


むしろ胸の高鳴りが池ポンさんに聞こえてしまうのではないかと思うくらいわくわくしていました。仕事の都合で2週間近く「一龍」を絶っていたせいもありましたが、こんなに祝福されて食べることのうれしさが気持ちを高ぶらせていたのだと思います。

赤暖簾をくぐるとお昼時の忙しい中、マスター・ママさん・そしてリンダさんが笑顔で迎えてくれました。お客さんたちも皆笑顔で、まるで私は新婦になってバージンロードを歩くかのように誇らしげに一歩一歩席へと進みました。
ちなみに、つい注文を聞かれて「スタンダードで」なんて言ってしまったけれど、本当は「中華硬麺で」と言いたかったのです。すいません。
席に着くと余裕はまったくなくなり、入り口の端っこに座ったためTVと反対に向く私を皆が見ているように思え、なお焦ります。
時折りんださんはTVにクスッと笑ったりするのでそれはそれで一石二鳥というわけですが。閑話休題、そうこうするうちに中華硬麺がやってきました!ここからはライブでお届けします。

これまでの人生が走馬灯のように蘇ります。まずスープから、うんうん、この味「豚骨鶏がらコッテリあっさり旨み醤油味!」やっぱりおいしいよ。東京醤油でもない豚骨醤油でもない背脂たっぷりでもない豚骨塩でもない!私の人生の集大成がここにある!
これが夕方になってツプツプの油になると、またそれも黄金の光をいっそうきらびやかなものにするんだよなあ。
ごくり。そしてこのしょうがとメンマともやしの絶妙なレイアウト。チャーシューで巻いて食べるといっそうその配分の良さに惚れるね。
シャキシャキもぐもぐ。そしてなによりここまで私を虜にしたのは私が一貫してポリシーを貫いてきた麺!細すぎず太すぎず、なおかつ、やはらかすぎず硬すぎず、ストレートすぎずちぢれすぎず(しつこい)。
ちゅるちゅるシコシコ。
とにかくこの麺こそが「一龍」を私の理想のら〜麺像にした決定打なのだ!麺に絡まるスープがちょうどよく口をすべらす潤滑油となり、ちぢれた麺は唇から喉へと行く間に舌の繊毛へ滑らかな刺激を与える。
歯ごたえ喉越しは抜群。ゲストの皆が口をそろえて言う、五臓六腑に染み渡る心地がそこにあり、果ては腸内の柔突起までもがニョロニョロのように大行進しちゃうのだ。
はっ!しまった。あまりに妄想にふけっていたせいでいつもより余計に麺を先に食べてしまった‥スープだけが残るという大失態を犯してしまったのである。
一瞬時が止まった。勿論スープだけでも美味しいので一滴残らずすべて飲み干したのだが、案の定、池ポンさんはまだ麺のほうが頭角を現したままリフティング中だった。
不覚、勇み足サミー。こともあろうに大舞台で失敗するなんて私としたことが。昔から本番に弱いタイプで「キスしてもいい?」なんて聞いてしまうチキンな性格がこんなところで露呈されるとは思ってもみなった。私はまるで明日のジョーのように灰と化し、食後の「世田谷ライフ」トークで話半分ローテンションになっていたのを池ポンさんに気づかれなかったことを祈ります。

とぼとぼと帰る私の後姿に気づいたか気づかないか、救いはやはり地獄に仏、新緑に一服の清涼剤となるマスター・ママさん・そしてリンダさんの笑顔でありました。ありがとう。
ともかくして私のゲスト出演は終焉を迎えたのです。「また来るよ」と、来たときと同じように赤暖簾をくぐると、うっすらと汗をかいた額をなでる風は、さっきとはちがう初夏のにおいがしました。甘酸っぱいにおい。
「一つ大人になったかな」
ふっと心の中でつぶやき、同時に胸がキュッと締め付けられる。
夏はもうそこまで来ていたようだ。
(終)

ハラス

| 2003,05 ハラスちゃん | 10:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
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